被災地を明るく ― 向日葵見ごろに

 花は、それを見る人の心と同時に、それを育てる人の心もあたたかくするような気がします。ヒマワリ・コスモス・サルビア・アゲラタム。土を肥やし、種を植え、大切に育て、じっと待ち、やがて待望の花が空に向けて咲き開く。花を植える人々の心を綴った記事をご紹介します。


・・・東松島市の国道45号鳴瀬大橋近くで、米国ワシントン州シアトルから送られた種から芽を出したヒマワリが見ごろを迎え、ドライバーや近隣住民の目を楽しませている。

 ヒマワリは被災地の支援活動などを行っている「新生石巻 常勝の会」の会員と親交のある日系人らから贈られた。会員たちは「被災地を元気にしよう」と、県内外の有志とともに国道沿いの花壇約300平方メートルに植え、大切に育ててきた。

 会代表の泉泰広さん(42)は石巻市北上町にあった自宅が全壊。仮設住宅で暮らしている。会はこれまで35カ所で花の植栽を行っており、妻の由佳さん(40)が東松島市出身だったことが鳴瀬大橋の近くに植える決め手となった。

 由佳さんは「見た目だけでも、色のない被災地を明るくしたかった。一緒に育ててくれた人たちに感謝したい」と語り、満開のヒマワリに目を細めた。9月中旬ごろまで楽しめそうだ。

三陸河北新報(2012年9月1日付)より引用
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2012_08/i/120811i-hatake.html


・・・石巻市中心商店街のビルの間に畑が出現し、話題になっている。畑一帯は、東日本大震災で2メートル近い津波が押し寄せ、甚大な被害を受けた中央2丁目の一角。商店街を元気に―と、商店主の妻らが耕作し、収穫物を近所に振る舞い、復興に向け、共に励まし合っている。ヒマワリに加え、コスモスの花も咲き始め、いまだ傷跡が残る商店街のオアシスになっている。

 震災前、アイトピアで夫と衣料品店を営んでいた首藤ツマ子さん(67)中央2丁目が震災後、夫婦で復興Tシャツを販売し頑張る姿が新聞に取り上げられた。その掲載紙を見た愛知県津島市の主婦が「必ず春が来ます」などの応援メッセージを添え、ヒマワリとコスモスの種を送ってきた。

 そんな時、震災で妻を亡くした近所の会社員吉田一男さん(63)同が「花を咲かせ、花好きだった妻を供養したい」と、首藤さんに相談したことがきっかけで、畑を作ることになった。

 畑は、吉田さん宅裏の空き地を借用。がれきの山だった空き地は男性ボランティアが「商店街の力になりたい」と、車に寝泊まりして撤去作業に汗を流した。

 がれき撤去後、土を入れ、60平方メートルの畑を完成させた。当初、花畑にする予定だったが「野菜も作ってみよう」と、話が盛り上がり、ナス、トマト、インゲン、トウモロコシなどを栽培している。

 畑の出現は口コミで広がり、散歩ついでに野菜や花を見ていく人たちや、水やりする人も出てきており、殺風景だった場所は安らぎの空間になっている。アイトピアの沿道には畑で育った花も徐々に増えている。

 吉田さんと首藤さんは「商店街に一人でも多く足を運んでもらうためにも、自分たちでできることをして、商店街を盛り上げていきたい」と話している。

三陸河北新報(2012年8月11日付)より引用
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2012_08/i/120811i-hatake.html


・・・一関市厳美町の本寺中学校(小林美智男校長、生徒26人)は8日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の沿道花壇跡に、生徒が種から育てたキバナコスモスの苗6000株を植えた。夏休みの全校行事の一環。同町を震源域に発生した岩手・宮城内陸地震で沿岸地方の多くの人々からも支援を受けたことから、恩返しの気持ちを込めて作業した。

場所は同市高田町の高田松原シーサイドキャピタルホテル1000前から市街地へ向かう道路沿い。歩道に作り付けの花壇跡3カ所で、埋もれたコンクリート片などを掘り上げ、津波による塩害を防ぐため培養土を加え入れた後、定植した。

 苗は高さ10センチほど。紫波町の被災地支援コスモスステーション(岸本敬子代表)から提供された種を、7月にまいて大切に育ててきた。

 雨の中、生徒が教諭、父母らと共に作業。2年の菅原雅哉君(14)は「被災した皆さんが花を見て笑顔になってくれるように、元気に育って咲いてほしい」と、植えたばかりの苗の小さな葉を優しくなでていた。

 他に一行は同日、陸前高田カモメネットの指導の下、同市気仙町の要谷漁港付近の花壇に、廃品回収の益金で購入したサルビアやアゲラタムなどの花苗300株を植えた。被災した住民の要望に応えたもので、現地で交流を深めた・・・

石巻日日新聞(2012年8月9日付)より引用
http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/item_30705.html



【サイト内関連記事】
・彩りに花の名前を
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石巻仮設住宅に植栽を 〜 兵庫県佐用高校
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・「おらほのラジオ体操」 〜 お国言葉の温かみ
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緑のカーテンで節電を
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・「花壇にもう一度花を」 〜 塩害土壌再生研究で国際大会へ
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学校<3> 校舎という「箱」

 前々回につづいて仮設校舎、被災校舎の取り壊し、新校舎の建設についての情報です。校舎は学びの場であるいっぽう、取り壊し、立て替えが行われるだけの単なる「箱」ではありません。多感な時期をその場所で学び、よく遊んだこと、そうしたさまざまな想いがその箱にたくさん詰まっています。


【関連記事1】
・・・山田町教委は、震災による津波で全壊した船越小が間借りする同町船越の陸中海岸青少年の家の敷地内に、特設理科室を建設している。9月1日から使用できる予定で、2学期から子どもたちの理科の実験が可能となる。

 建設中の理科室は、広さ約98平方メートルのプレハブ平屋建て。実験台や薬品台、流し台などを設置する。7月下旬に着工し、今月中に完成する予定だ。事業費は876万円。

 同校は震災後、陸中海岸青少年の家で授業をしてきたが、理科の実験の際は他校に行くなど不便を強いられていた・・・

岩手日報(2012年8月13日付)より引用
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m08/h1208132.html


【関連記事2】
・・・陸前高田市の気仙中PTA(武蔵和敏会長)は12日、被災した同市気仙町の同校校舎前にメッセージボードを設置した。早ければ来月にも解体工事が始まることから、卒業生らに校舎への感謝の気持ちを記してほしいと呼び掛けている。

 同日は感謝の思いをつづった横断幕も校舎に掲示。メッセージボードは校舎の解体が始まるまで設置される。校舎周辺ではがれきの撤去作業が行われており、武蔵会長は「(作業のない)土日に書き込みに来てほしい」と多くの訪問を望む・・・

岩手日報(2012年8月13日付)より引用
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m08/h1208133.html



【サイト内関連記事】
・学校<2> 「心に刻んだ最後の演奏」
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120829

・学校<1> 立て札「運動駐車場」〜見慣れぬ道を通って
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120714

・「ふるさと」 〜 これまで見えていなかったもの
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120717

仰げば尊し − 五年後 − 二十歳
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110402

地震や津波時、消防団活動にマニュアル 大船渡市

 以前、三重県防災対策本部によって公表された「津波の浸水予測(平成23年度版)」についてご紹介しました。ここにはこうあります。
 
「50cmの程度の津波に巻き込まれると、避難が極めて難しくなることから、最大の津波到達まで決して待つことなく、早期に避難を開始し、避難を完了するまでの一つの目安となる時間としてお考えください」

【参照】過去の災害に学ぶ<3> 報道管制下で「隠された地震
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120410


 今回の大震災では救助に向かう消防団員も多数犠牲となったため、消防団活動の安全管理マニュアルも策定されました。以下はそれについての記事です。


・・・東日本大震災消防団員が犠牲になったことを受け、大船渡市は地震津波災害時における消防団活動の安全管理マニュアルを策定した。津波警報発表からの活動時間を20分と設定し、団員自らの命を守ることを優先する内容。9日の定例記者会見で発表したもので、今後団員らへの周知徹底を図っていく。
 今年3月11日現在の消防庁まとめによると、東日本大震災では全国で254人の消防団員が犠牲になった。このうち、県内では119人、市内では避難誘導などにあたっていたとみられる3人が殉職している。
 「団員自らが命を守り、二度と殉職団員を出さない」を最大テーマとしたマニュアルは、震災後に消防庁から退避ルールを明確化した安全管理対策の求めも受けて策定。
 地震津波時の対応を主にしており、▽活動時間を20分に設定し、退避優先を徹底▽退避命令を団員に伝達する手段の複数確保▽現場状況や情報などで危険察知した場合は20分前でも直ちに退避命令を出す▽勤務地などから屯所に向かう際、通行が危険と判断した場合は安全確認後とする─などとしている。
 “20分ルール”としての時間設定は、マニュアル化以前からの目安をはじめ、越喜来湾で25分という宮城県沖地震津波シミュレーションの第1波到達予想時間、東日本大震災の最大波高到達時間(約30分)などに基づき、退避時間なども考慮して決めた。
 震災後、各分団に対して従来からのアナログ無線に加え、デジタル型トランシーバー4、5台を配備。課題としてあげられる伝達手段については、これら機器の活用で対応する構えだ。
 同市内の消防団員は995人。前野浩哉大船渡消防署長は「沿岸部だけでなく内陸部の団員が応援に向かうこともある。幹部会などを通じて全域に周知徹底を図る」とする。
 合わせて同署では「住民の生命を守るべき消防団員が20分ルールで退避することには事前に市民の理解を得ることが必要不可欠」とし、自主防災組織や婦人防火クラブなどへも周知することにしている・・・

東海新報(2012年8月10日付) より引用
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws7879


【サイト内関連記事】
・過去の災害に学ぶ<6> チリ地震(1960)と遠地津波への対処
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120524/1337894726

・過去の災害に学ぶ<5> 明治三陸地震(1896)と「遠野物語」 〜 山田町船越
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120425

・過去の災害に学ぶ<4> 明治三陸地震(1896)と誘発地震
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120424

・過去の災害に学ぶ<3> 報道管制下で「隠された地震
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120410

・過去の災害に学ぶ<2> 日本付近で発生した主な被害地震 〜 1943年からは4年連続で発生
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120408

・過去の災害に学ぶ<1> 日本全国の言い伝え
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120407

東京消防庁派遣隊
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110412

学校<2> 「心に刻んだ最後の演奏」

 以前、学校に通う通学路についての記事をを取り上げましたが、今回も学校についての記事をご紹介します。学校という思い出を刻んだ場所がなくなる―それは今学校に通う子どもたちだけでなく、子どもたちをあたたかく見守る地域の方々、また卒業生の皆さんにとっても同じ想いであることでしょう。「6月から毎朝練習してきた2曲を一生懸命演奏するので聴いてください」と語る6年生の言葉と彼らの演奏は、そこに耳を傾ける人の胸にかけがえのないものを刻んだことでしょう。

【参照】学校<1> 立て札「運動駐車場」〜見慣れぬ道を通って
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120714


・・・石巻市相川小(橋本恵司校長、児童59人)の児童全員で構成する鼓笛隊の演奏会が18日、北上地区内8カ所で行われた。同校は来春、橋浦、吉浜両小と統合するため、相川小としては今回が最後の披露。児童たちはこれまでの練習の成果を元気いっぱいに発表した。各地区では大勢の保護者や住民が駆け付け、1966年の鼓笛隊結成後、45年の歴史を持つ巡回演奏に耳を傾けた。

 太鼓やハーモニカ、トランペット、アコーディオンなどで構成する鼓笛隊は、北上中そばの仮設住宅を皮切りに、小学区内を中心とした地区をバスで移動した。

 最後は東日本大震災で被災した思い出深い相川小で、校歌と「こんにちはトランペット」の2曲で締めくくった。演奏に先立ち、大勢の住民を前に橋本校長は「45年間受け継がれた伝統を最後の2曲に込めた」とあいさつ。遠藤怜君(6年)が「6月から毎朝練習してきた2曲を一生懸命演奏するので聴いてください」と話した。

 この後、佐々木海音さん(6年)の指揮で息の合った演奏を披露し、集まった人々から温かい拍手が送られていた。

 6年生の双子の女の子を孫に持つ十三浜崎山の漁業佐々木昭一さん(68)は「長男も演奏したので、毎年欠かさず鼓笛隊演奏は見ていた。これが相川小として最後の演奏かと思うと感慨深い」と話していた。
 相川小の鼓笛隊は1966年9月に結成。毎年6月の「社会を明るくする運動」で各地区を回って演奏するのが恒例で、子どもたちのはつらつとした姿は住民にも元気を与えていた。

 震災では校舎の3階まで津波が押し寄せ、楽器が使えなくなったが、歌手の庄野真代さんらが楽器や和太鼓を提供。昨年11月には5カ月遅れで鼓笛隊演奏が復活し、住民から喜ばれた・・・

三陸河北新報社(2012年7月20日) より引用
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2012_07/i/120720i-aikawa.html



【サイト内関連記事】
・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<2> 〜 防災教育副読本の作成・改訂
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120602

・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<1> 〜 岩手県で本格化
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120530

・「交流を機に、子どもたちの視野が広がり、お互いのまちにないものを知ってほしい」 陸前高田市名古屋市
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120501

・「当たり前の日常の幸せを」 こども音楽コンクールより
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120416

仰げば尊し − 五年後 − 二十歳
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110402

震災復興における街づくり 〜バリアフリーとシミュレーション

 震災復興における街を作っていく上でバリアフリーをどのように実現するか、以下はその取り組みについての情報です。実際に高校生や中学生が復興交流推進事業の一環として、実際に街を歩きシミュレーションを行う取り組みや、聴覚障害者にも分かるような避難情報を提供するシステムの確立も課題の一つに挙げられています。


・・・震災復興における街づくりのバリアフリーを訴え、障害者らが旅をする「みちのくTRY」(同実行委主催)は8月19日から31日まで行われる。宮古市田老から陸前高田市まで約150キロの道のりを歩き、被災地の人々と交流しながら、障害者が住みよい街づくりや、岩手の障害者問題を考える。障害当事者の参加とともに、ボランティアやカンパも募っている。

 「TRY」は1986年、大阪〜東京間で行われたのが始まり。鉄道やバスのバリアフリーを訴え、障害当事者が中心となって車いすや徒歩で旅をする。現在はアジア諸国にも広がりを見せている。

 今回のTRYは「復興に向けて障がい者も住める街づくり」がテーマ。被災地を歩きながら▽犠牲者の追悼▽道路や建物などのバリアフリーチェック▽住民との交流やアピール▽災害時の障害者支援や防災計画の見直しを求める各市町村への要望活動―などを行う。

 同実行委事務局で、盛岡市の障害当事者団体「CILもりおか」代表の川畑昌子さん(49)は「毎日の暮らしの中で、障害者と出会うことのない地域はまだまだ多い」と指摘。「地域の一員であり、どこにでもいるはずの障害者の存在を知ってほしい。建物や交通だけでなく一人一人の存在もバリアなく受け入れてほしい」と願う。

 みちのくTRYはどんな障害でも参加できる。一部行程の参加も可。最終日の8月31日は盛岡市内を行進する。寝袋持参。参加費無料。宿泊や食費は実行委が負担する。参加期間外の宿泊、交通費は自己負担。介助希望者には介助者がつく。参加締め切りは7月25日・・・

岩手日報(2012年7月6日付)より引用
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120706_11

みちのくTRYホームページ
http://ameblo.jp/mitinoku-try/



【関連記事1】
・・・滋賀県守山市の障害者グループが、東日本大震災で被災した障害者のために募金活動を続けている。昨夏から計4回行い、浄財を現地に送った。宮城県の障害者グループからこのほど、お礼のメッセージが届いた。

 取り組んでいるのは、同市内の障害者の保護者グループ「守山市手をつなぐ育成会」の本人部会のメンバー9人でつくる「ホタル」。

 被災した障害者が障害ゆえに、健常者より苦労をしているのではないかと考えたメンバーの織田千瑛さん(25)が、仲間に募金活動を呼び掛けた。

 昨年7月、JR守山駅前で最初の募金活動を実施。炎天下、被災した障害者を支援したいという思いを記した横断幕を手に、メンバーたちが交代で声を張り上げ、協力を求めた。以来、各季節ごとに行っている。

 募金は岩手、宮城、福島両県の手をつなぐ育成会を通じて現地に届けられており、宮城県の本人部会「みやぎフレンズ会」からは「復興に時間がかかるが、みんなで夢に向かって一緒に頑張ろう」というメッセージが届いた・・・(以下略)

京都日報(2012年7月25日付)より引用
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120725000051

社会福祉法人:全日本手をつなぐ育成会 ホームページ
http://www.ikuseikai-japan.jp/



【関連記事2】
・・・一関市の県立一関一高と同高附属中学校の生徒約100人は2日、東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市を訪ね、津波の爪痕や復旧・復興の現状を視察し、市民から体験談を聴いたほか、ロールプレーイングで避難行動を検証し、震災を肌で感じながら復興支援への思いや防災への心掛けを新たにした。

 県教委の復興交流推進事業の一環。震災発生時を想定したロールプレーイングでは、同市防災対策室と岩手大の協力の下、生徒が「要介護者」や「児童」などの役割を演じ、それに応じた歩幅や速さに配慮しながら市街地を徒歩で避難し、所要時間などについて調べた。

 避難経路は旧市役所庁舎または高田松原シーサイドキャピタルホテル1000から高田小学校までと、高田松原に唯一残った“奇跡の一本松”から同ホテルまで、市民体育館から県立高田高校(整備予定地)まで、JR陸前高田駅から第一中学校までの計5コース。

 車椅子を使って避難した同高2年の千葉美玖さんは「震災で壊れてでこぼこになった舗装路を避難し、途中で車椅子から落ちそうになった。高台への坂道は、車椅子を押して介助する側にも負担が掛かったようだ」と話していた。

 また、同高2年の藤原佳祐君は「内陸に住んでいるので普段は津波の心配はないが、復興支援などで沿岸を訪ねる際には、ここで見聞きしたことを生かして、どのように避難行動するのか、自分なりに心掛けたい」と話していた。

 所要時間のデータなどに基づき、津波が到達する前に避難所まで行き着けるのか、不可能な場合の対応策はあるのかなど、多角的に検証し、結果については9月1日に両校で開く文化祭での発表を予定している。

 また、所要時間のデータを同市へ提供し、新たな津波避難計画の策定などに役立ててもらいたい考えだ・・・(以下略)

岩手日日新聞(2012年8月3日付)より引用
http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/item_30637.html

岩手県:岩手復興ネット ホームページ
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=39696&ik=0&pnp=14



【関連記事3】
・・・大船渡市身体障害者協会(種田捷記(としき)会長)は26日、障害者に配慮した災害に強いまちづくりを行うよう市に要望した。公共施設のバリアフリー化や聴覚障害者にも分かる避難情報の提供など、昨年3月11日の震災での実体験から提言した。

 種田会長ら5人が市役所を訪問。会員の被災体験をもとに▽再建する公共施設のバリアフリー化▽要介護者の人命把握に協力するため、身体障害者名簿を各地域の担当者に公開−などを要望した。

 津波警報・注意報発令時、市民への避難情報の提供は防災行政無線と、各世帯に配備する予定の個別受信機で行われる。音声のみで配信するため、聴覚障害者が分かるようなシステムの検討を求めた。

 戸田公明市長は「要望を生かしていきたい。市民が助け合う社会をつくらなければならない」と応じた。

 同会によると、震災前約600人いた会員のうち、少なくとも7人が逃げ遅れなどで津波の犠牲となった。生活上の問題などで震災後、内陸へ転出する障害者も多いという。種田会長は「住みよいまちになるよう、私たちの希望も取り入れてほしい」と願う・・・

岩手日報(2012年3月27日付)より引用
http://www.iwate-np.co.jp/bousai/jisintunami/y2012/bousai1203271.html



【サイト内関連記事】
原子力防災訓練のあり方<1>〜<2>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120709/1341843204

・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<1>〜<2>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120602/1338608641

・過去の災害に学ぶ<1>〜<5>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120425/1335309987

・気仙広域連合 復興への全体構想<1>〜<6>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120119/1326928271

・「次は何を持ってどこに逃げれば良いか考えていた」 〜 日常的な避難意識の大切さ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120315/1331772089

・世界に誇れるまちをつくりたい:職員合同慰霊祭
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20111220/1324424583

・未来の地図を <1>〜<3>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20111010/1318199804

「夏の夜、流れ星を数えよう」

 年間三大流星群と呼ばれる「しぶんぎ座流星群(1月)」「ペルセウス座流星群(7・8月)」「ふたご座流星群(12月)」。予想では今週末、そのうち「ペルセウス座流星群」が極大を迎えます。国立天文台は6年つづけて「夏の夜、流れ星を数えよう」というキャンペーンを行っており、以下はその情報です。
 さらに14日未明には金星食が起こります。国立天文台によれば「よい条件」で見られるのは1989年12月2日夕方以来23年ぶり、また「比較的条件のよい金星食が次に起こるのは、2063年5月31日」とのことです。主な場所での潜入時刻・出現時刻は下の該当ページをご覧ください。


・・・今年(2012年)のペルセウス座流星群の極大は、8月12日の21時頃だと予想されています。そのため、8月12日から13日にかけての夜は、多くの流星が出現しそうです。
(ただし、流星群の極大日時は確実には予想できませんので、あまり予想だけにとらわれず、なるべく長い時間、そして長い期間観察を続けると、それだけ流星を見る機会が増えることになります。 )

放射点の高度ですが、ペルセウス座流星群の場合、21時頃より前には、放射点がまだ地平線に近い低い位置にあるため、あまり多くの流星の出現は望めません。21時を過ぎた頃から、放射点の高度が徐々に上がっていき、流星の出現が活発になっていきます。放射点の高度が最も高くなるのは明け方です。

月については、今年の場合、真夜中頃に月が出てきてしまいます。一般的には、月が出てしまいますと、月明かりが邪魔になり、暗い流星は見ることができなくなってしまいます。ただ、今年は月がそれほど明るくないため、それほど邪魔になりません。ペルセウス座流星群放射点が十分に高くなるのは月が出た後ですので、多少の月明かりはありますが、なるべく明け方まで観察を続けてみるとよいでしょう。

また、極大前後の数日間は、流星群の活動が比較的活発な状態が続いているため、極大のときよりは流星の数は少なくなりますが、普段よりは多くの流星を見ることができると考えられます。極大当日が晴れるとは限りませんので、なるべくなら、前後何日間かは観察の時間をとっておくとよいでしょう・・・

国立天文台:「観察の仕方」より引用
http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120810-perseid/observation/index.html


国立天文台ペルセウス座流星群について
http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120810-perseid/about/index.html

国立天文台:ほしぞら情報
http://www.nao.ac.jp/astro/sky/

国立天文台金星食について
http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120814-lunar-occultation/about.html




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彩りに花の名前を

ハマユリ(浜百合)は、スカシユリ(透百合)の別名であり、釜石市の花でもあります。

・・・「ひまわり通り」や「あじさい通り」−。東日本大震災で自宅を失い、釜石市の「平田第6仮設団地」に入居する住民が、少しでも潤いある生活にしようと仮設住宅の間の通りごとに12種類の花の名前を付けた。

 この仮設団地に交流施設をつくった横浜市の建築設計事務所山本理顕設計工場」が6月、通りごとに花の絵を描いた標識を提供。殺風景な印象を与えがちな仮住まいに彩りを添えている。

 それぞれの通りごとに入居者の住民が名付けた12種類。おなじみの「さくら」「つつじ」や釜石市の花「はまゆり」のほか、スイセンの鉢植えがきれいな「すいせん通り」など個性に富んでいる・・・

岩手日報(2012年7月1日付)より引用
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m07/h1207011.html



【サイト内関連記事】
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・「じゃあ男だけでやってみるか」 〜 大船渡市・中赤崎男サロン
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120420

・「花壇にもう一度花を」 〜 塩害土壌再生研究で国際大会へ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120419