石巻の仮設住宅に植栽を 〜 兵庫県立佐用高校

 2009年8月に台風9号によって死者18名、行方不明者2名の人的被害があった兵庫県佐用町。その地にある兵庫県佐用高校の農業科学科の高校生たちが宮城県石巻で取り組むボランティアについての情報です。
 この佐用高校農業科学科では、すでに2010年、過疎化・高齢化が進む佐用町を復興へとつなげる取り組みを行っています。その理念として「農業を題材として学んでいる学科だからこそできる防災活動」の提案があげられており、人的支援ボランティアのほか、学校の農作物提供・手作りプランターの製作などが行われています。詳細は以下をご覧ください。
http://www.bosai-study.net/2010houkoku/plan.php?no=16

 また佐用町の台風被害については、佐用町台風第9号災害検証委員会が報告を行っていますので、下にその情報も掲載しました。


・・・佐用高校(兵庫県佐用佐用)の生徒20人が13日から2泊3日の日程で、東日本大震災の被災地・宮城県石巻市でボランティアなどに取り組む。農業科学科の生徒が育てたマリーゴールド約千株を仮設住宅に植えるほか、現地の高校生との交流会も予定。生徒たちは「自分たちにできることで被災地の力になりたい」と話す。(小西隆久)

 同校では、2009年8月の県西・北部豪雨で生徒の多くが被災した。同時に生徒たちは、浸水被害などを受けた地元で災害ボランティアに励んだ。当時を知る生徒は卒業したが、被災の経験は先輩から後輩へと語り継がれている。

 大震災の発生後、同校は「佐用町が水害時に受けた恩返しをしたい」と積極的に被災地支援を続けている。農業科学科の生徒が栽培した花を被災地に贈るのは、今回で5回目。うち2回は、生徒が被災地に赴き植栽した。

 今回の被災地訪問で、生徒たちは14日、石巻北高校、石巻市立女子高校との交流会の後、市内の仮設住宅で花を植える。15日に佐用町に戻る。

 被災地入りするのは3回目という3年生桑原成就さん(17)=たつの市龍野町=は「3年前の水害から少しずつ復興を果たしている佐用町から、被災地を励ましたい」と抱負を語った・・・

神戸新聞(2012年7月13日付)より引用
http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0005208523.shtml



佐用町台風第9号災害検証委員会:台風第9号災害検証報告書(平成22年7月16日)より

佐用町台風第9号災害検証報告にあたって

平成21年8月9日午後9時に日本の南海上熱帯低気圧から台風となった台風第9号により、兵庫県では大気の状態が非常に不安定となり、佐用佐用では1時間に89ミリ、日降水量は326.5ミリを観測し、死者18名、行方不明者2名の人的被害を始め、広範囲に及ぶ浸水、1,700戸以上の家屋被害のほか、河川・道路・農地・農業用施設などに甚大な被害が発生した。
近年、局地的に降る猛烈な豪雨による災害が頻発しており、佐用町のみならず全国で同様の災害が発生することは想像に難くない。佐用町の災害対応に関する検証は、町の災害対策の強化に留まらず、全国の自治体における災害対策の教訓となるものと考える。佐用町台風第9号災害検証委員会では、町の台風第9号災害への対応に関する検証にあたって、事実に即して客観的に問題点を明らかにすること、亡くなられた方を含め多くの被害が出たという事実を踏まえること、安全・安心な佐用町の実現のため建設的な視点での検証をすること、県の検証委員会とも力を合わせて地域ともコミュニケーションを図りながら協働的に進めること、弱点の反省からスタートし、問題点をできるだけ具体に明らかにして、実践的な提言に結びつけることを念頭において検証に望んだ。平成22年1月から6回にわたる委員会、30回を超えるワーキング部会等において精力的に検証を行い、町においても、膨大な資料を作成提出するとともに、事実をありのままに明らかにする姿勢でこの検証に望まれた。(以下略)

http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/open_imgs/info/0000002342.pdf



【サイト内関連記事】
・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<2> 〜 防災教育副読本の作成・改訂
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120602

・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<1> 〜 岩手県で本格化
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120530

・「交流を機に、子どもたちの視野が広がり、お互いのまちにないものを知ってほしい」 陸前高田市名古屋市
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120501

・「花壇にもう一度花を」 〜 塩害土壌再生研究で国際大会へ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120419

・手作りのお米を 〜 富山県高岡市の中学1年生が収穫したコシヒカリ約340キロが気仙沼中へ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20111114

・浸水リスクマップ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110818

・つくる支援物資
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110411

千年後の津波を防ぐ植林費用に 〜 野田村

 500棟以上の家屋が被害に遭い、また30人以上の方々が亡くなられた岩手県九戸郡野田村における雑貨制作の情報です。雑貨には津波で被災した防潮林クロマツが使用されるとのこと。また本年を復興元年とし、「野田まつり」が今年から再開されるとのことです(8月24日〜26日)。仮設店舗情報も最後に掲載しました。


・・・野田村野田の木工工房「だらすこ工房」(大沢継弥(つぐや)代表)は4日、手作り木工製品の初出荷に向けた作業を行った。仮設住宅の男性を中心に、津波で被災した防潮林クロマツで雑貨を制作。8日に盛岡市で開かれる復興バザーに出品する。収益の一部は千年後の津波を防ぐ植林費用に充てるといい、息の長い活動を誓っている。

 野田中から2キロほど山奥に入る同工房。男性6人が袋詰めややすりがけなどを行う。男性(64)が「魚は自信があるなあ。売れるといいね」と声を掛けると、笑い声が起こった。

 雑貨はホタテと魚のドンコを模した形のストラップやペンダント、箸置きなど。仕上げにはオリーブオイルを塗った。立ち上がる野田のイメージで、パッケージには「たつのだ」というコピーを添えている・・・(以下略)

岩手日報(2012年7月5日付)より引用
www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m07/h1207052.html




・野田村通信ブログ(岩手県野田村観光協会
http://nodakankou.exblog.jp/

・野田村被災状況
http://w.livedoor.jp/nodamura_koushiki/d/%c8%ef%ba%d2%be%f5%b6%b7

・平成24年 愛宕神社例大祭『野田まつり』
http://www.noda-kanko.com/news/2012_nodamaturi.html



岩手県野田村仮設店舗情報】
仮設店舗は本町地区仮設店舗・横町地区仮設店舗・米田地区仮設店舗などがあります。
詳細は以下の地図をご覧ください。
・野田村観光協会による地図(平成24年6月版)
http://www.noda-kanko.com/kankou/index.html

また以下に野田村の商店街を支援するサイトです。野田村の商工業者の要望物資等の情報などが掲載されています。

・野田村商店街サポーターズクラブ
http://nodamura.jimdo.com/

・要望物資(OA機器、作業機械、事務用品、車両・重機、電化製品、備品)のリスト
http://nodamura.jimdo.com/要望物資の一覧/




【サイト内関連記事】
緑のカーテンで節電を
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120615

・気仙材による100年住める長期優良住宅を 気仙郡住田町
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120519

・桜
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120325

・震災当日誕生の赤ちゃんへ 
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120217

・地域材で地元復興
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120205

・「希望の一本松」 〜 枯死するも接ぎ木や実生からは新たな苗、後継樹の育成へ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20111231

「ふるさと」 〜 これまで見えていなかったもの

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
 これは、詩人・室生犀星のことばです。彼は自らの筆名を地元金沢に流れる犀川からとっています。
 大震災は、津波は、けれども、街の景色そのものを押し流してしまいました。記憶を呼び起こす場所、街角、風景、そうしたものを記録としてとどめた写真さえ、一瞬にして遠くへと流されました。そうしたなかで、「ふるさと」について語られたものがありましたのでご覧下さい。


・・・震災後、涙もろくなったなあと思う。と言っても、精神的に不安定なわけではない。ときおり去来し、胸をつかえさせるものはあるが、むしろあの大災害以来、些細なことはそれほど気にしなくなった。
 発災直後は確かに感情がたかぶりやすく、知人が生きていたと知っては泣き、水が出た、電気がついたと言っては泣き…と毎日涙していたように思う。無我夢中でひた走る途中、ふと、亡くした身内や失ったあれこれを思い出してしまい、ひっそり嗚咽した日もあった。
 けれど今はそれらともまた違った感情に、たびたび心を揺さぶられている。「私の生きる毎日には、これほど幸福があふれていたのか」と、改めて気づかされるのだ。
 15カ月前、我々を絶望の淵へと追いやったあの無残な光景は、爪痕として今も至る所に残る。それでもなお、美しさのあまり息をのみ、思わず立ち止まってしまうような景色が気仙にはあるのだ。これでもかというくらい。
 荒れた浜辺に咲くハマナス。凛として立つニッコウキスゲ。広田の海など、まるで緑青(ろくしょう)の絵の具を溶いたかのように・・・それこそ絵ではないかと思うほど碧く澄んでいる。
 かつて、海はこんなにも美しかっただろうか・・・。いや。確かに美しくはあった。ただあの津波を機に、これまで見えていなかったものが見えるようになったのだという気がする。
 通勤途中、視界に飛び込む大船渡湾。1日とて同じ色はない。毎日の微妙な変化に目を見張り、見つめているだけで、涙がこぼれてくる。これが気仙の底力であったかと、我がふるさとを初めて知る思いだ。
 おそらくまだ、海を見たくない・見られないという人も多かろう。見たくてもつらさがよぎり、どうしてもかつてのようには見られないという人もいるはずだ。そうした方の気持ちを、軽々しく傷つけねばよいがと危惧しながらも、自分はやはりこう思うのだ。「この町に生まれて良かった」と。(里) ・・・

東海新報(2012年6月21日付)コラム「気仙坂」より引用
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column2.cgi




    「犀川」 室生犀星

    うつくしき川は流れたり
    そのほとりに我は住みぬ
    春は春、なつはなつの
    花つける堤に坐りて
    こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
    いまもその川のながれ
    美しき微風ととも
    蒼き波たたへたり





【サイト内関連記事】
・「おらほのラジオ体操」 〜 お国言葉の温かみ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120628

・「ふるさと納税」に添えられたメッセージ 〜  青森県
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120607

・「当たり前の日常の幸せを」 こども音楽コンクールより
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120416

・桜
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120325

・元旦・鶴・富士
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120101

・「袖振り合うも多生の縁」 〜 応急仮設住宅団地に地域公民館設立
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20111225

・亡き人の手習ひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110924

・特別なお盆 〜 「我と来て遊べや親のない雀」
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110820

・「までいの心」がつなぐもの 〜 福島県相馬郡飯舘村 <1><2>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110603

学校<1> 立て札「運動駐車場」〜見慣れぬ道を通って

 学校に歩いて行く。歩いて行く学校で開かれる運動会。しかし被災地では子どもたちがその「当然」であった日常を享受できない状態が続いています。たとえばバスに乗って運動会会場へと向かい、たとえば遠く離れた街で、見慣れぬ通学路をとおって学校へ通っています。
 やや古い情報ですが、文部科学省が昨年10月に校舎の被災・仮設校舎の情報に加え、体育館・グラウンド・理科室・家庭科室などの使用可能状況を発表しています。また先月末には転校(園)した生徒・児童の数が発表されています。当資料によれば、転校(園)をした生徒・児童は25,516人(同一県内での受入れ数を含む)、また岩手、宮城、福島の3県から他の都道府県の学校にうつった生徒・児童は14,263人となっています。



・・・「当然」という概念がすっかりくつがえってしまったのが大震災以後である。家族も家も学校も職場も、あって当然のものが、ある日を境にそうでなくなったという体験をしたことを、大人はともかく子どもたちはどう受けとめているのだろうか?▼毎日朝晩通る大船渡小学校前の周辺に、出勤時「運動会駐車場」という立て札を何度も見たのは、同小学校の校庭が運動会場として複数の学校に使われている現状を物語っている。車で来た父母たちが荷物をまとめて会場に向かう様子、子どもたちを乗せた大型バスが校庭に入る様子などを車窓から眺め、複雑な気持ちになる▼赤白の運動帽をかぶった小学生たちがバスの中でどんな会話をしてきたのかを知りたくなる前に、気の毒が先に立つ。運動会とは自分の学校の校庭で行われるのが当然だが、その学校も今はなく、校庭はがれきの集積場となるか、荒れ果てたまま放置されているのである。このため難を逃れた別の学校に通うから“複式学級”ならぬ“複式学校”となり運動もままならない
▼戦後も“還暦”をとうに過ぎてわが国はすっかり成熟社会となって平和と便利さとを共に享受してきたのだから、すべてが当然と錯覚するのはやむを得ないことである。しかしそんな状況は足元から崩れ去ってしまった▼不便さというものを現実に体験することになった子どもたちが、これから先をどのように考えているのか、不憫さがこみあげてくるが、しかしたくましく育つことはまちがいない。そう確信している・・・

東海新報(2012年6月3日付)コラム「世迷言」より引用
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column.cgi?pflg=2&page=2&snen=2000&smon=01&sday=01&enen=2012&emon=12&eday=31&fname=



文部科学省「被災地域の学校における授業の実施状況等について(10月時点)」(平成23年12月12日発表)より

【結果概要】
○ 6月時点に比べ、全般的に改善した。特に、体育館や屋外活動の状況に改善がみられる。※なお、6月時点は被災地域の大まかな状況把握の結果であり、未回答項目も多かったことからプレス発表は行っていない。

(各項目の結果)
○ 震災に伴う休校23校⇒15校(▲8校、改善率35%)※福島県浪江町富岡町広野町の学校再開が要因。
○ 他校・他施設を使用している学校
137校⇒106校(▲31校、改善率23%)
○ 仮設校舎を使用している学校41校
○ 1クラス40人を超える学級で授業を実施
83校(うち63校は高等学校)⇒78校(うち60校は高等学校)(▲5校、改善率6%)
○ 1教室で2クラス以上の独立した授業を実施、体育館等を代替使用
96校⇒70校(▲26校、改善率27%)
○ 授業で使用できない特別教室等
(理科室)101校⇒59校(▲42校、改善率42%)
(家庭科室)132校⇒71校(▲61校、改善率46%)
○ 体育館が全く・一部使用できない
408校⇒176校(▲232校、改善率57%)
○ グラウンドが全く・一部使用できない
188校⇒143校(▲45校、改善率24%)
○ 屋外活動の状況
(全く実施していない)94校⇒6校(▲88校、改善率94%)
(一部制限して実施)456校⇒399校(▲57校、改善率13%)
○ 通常の時数を減じて授業を実施
17校⇒9校(▲8校、改善率47%)
○ 通常通りの学校給食の実施
1900校(全体の95%)。未定(簡易給食含む)は103校。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/12/__icsFiles/afieldfile/2011/12/21/1314457_1.pdf


文部科学省東日本大震災により被災した幼児児童生徒の学校における受入れ状況について(平成24年5月1日現在)」(平成24年6月29日発表)より

各国立大学附属学校、各都道府県・指定都市教育委員会、各私立学校に対し、平成24年5月1日現在で、被災幼児児童生徒の学校における受入れ状況を調査したもの。
(1) 震災により、震災前の学校と別の学校において受け入れた幼児児童生徒の数は25,516人(同一県内での受入れ数を含む)
(2) (1)のうち、岩手、宮城、福島の3県の幼児児童生徒で、他の都道府県の学校において受け入れた数は14,263人

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/24/06/__icsFiles/afieldfile/2012/06/29/1323059_1.pdf




【サイト内関連記事】
・「当たり前の日常の幸せを」 こども音楽コンクールより
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120416

・記憶・風景・言葉<1>−<2>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120331

・絆 〜 結ぶということ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120311

・「共に生きようとする気持ち」
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120309

・自力だけではどうにもならない人生だからこそ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110911

・「なにくそ」
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110505

原子力防災訓練のあり方 <2>

 前回に続き、原子力防災訓練についての情報です。国による原子力防災訓練が進展しない一方において、地方自治体では、独自の原子力防災訓練が行われています。以下はこの6月に実施された石川県・富山県の共同原子力防災訓練の情報です。北陸電力志賀原発での放射能漏れ事故を想定して行われました(註1:詳しい想定内容については下の引用をご覧ください)。
 もともとIAEA によって提案されていた緊急防護措置計画範囲(UPZ:Urgent Protective action planning Zone)(註2)ですが、昨年原子力安全委員会の作業部会も「原発の防災対策の重点区域の目安」を拡大、これを踏まえて30km圏退避訓練も行われていることも特徴的です。また訓練そのもののあり方だけでなく、住民意識の向上といった課題もあがっています。
 訓練をすることによって問題点を見いだし、次の訓練につなげていくというプロセスが重要です。国も一度に包括的な訓練案を出せないのであれば、まずはやってみて、それからトライアンドエラーによって訓練の精度を高めていく方向も考慮すべきだと思います。


・・・北陸電力志賀原発での放射能漏れ事故を想定した原子力防災訓練が9日、石川、富山両県で行われた。国の防災指針が定まらない中、石川県が独自に進める対策を検証できた一 方、荒天でヘリや船での避難はほとんど中止に。危急の際、移動手段やルートを確保して 「見えない災害」から逃げることはできるのか。訓練を通して見えた課題は少なくない。

 訓練は志賀原発の半径30キロ圏内に入る8市町の住民800人を、金沢、輪島市へ移動させる初の試みだった。

 避難所が設けられた金沢市港中では、6市町から避難してきた500人のうち、250人がスクリーニングや除染を受けた。
 技師8人が休まず検査したが、終わったのは閉会式の直前。頭の先から靴の裏まで調べ れば1人5分はかかる。実際には金沢市だけで8万8500人とも想定される避難者をど うするのか。30人を問診した男性医師(59)は「機器や技師をいかに早く確保できる かが鍵だ」と語った。
 原発から5キロ圏の志賀町から港中に移動した志加浦小と上熊野小の児童約70人は今回、能登有料道路を使ったが、災害時の避難ルート策定はこれからだ。

 避難所では「避難方法が分かったのは安心材料」「逃げる足を本当に確保できるのか」 と、評価と不安の声が入り交じった。避難者をバスで集めて避難させた輪島市の梶文秋市 長は「実際は、こんなに周到にバスを用意できない。自治体が所有するバスをどう配置し ておくか検討する」と語った。

 陸路が閉ざされた場合、奥能登の孤立化が課題として残る。「原発から遠ざかることを優先した訓練」(県危機対策課)とはいえ、陸路ではそれ以上先に行けない場所への避難 に抵抗を感じる住民は少なくない。

 この日、避難者や物資を運ぶ予定だったヘリと船のほとんどが中止となったように、空や海の移動は天候に大きく左右される。荒天で船が使えなかった志賀町福浦港の寺尾杉太郎さん(66)は「別の避難手段も考えてほしい」。同所の端谷実さん(63)は「多少 困難な状況でも住民を運べる準備が必要だ」と、天候の変化の想定も必要だったと指摘した。

 万一の事態に備え、住民意識をいかに高めていくかも重要だ。

 七尾市では、原発に近い6地区の住民9500人に避難場所へ集合を呼び掛けた。ところが参加したのは2600人で、市の担当者は「もう少し多いと思った」。雨の影響もあったとみられるが、参加しなかった男性(70)は「本当の事故ならバスを待つ間に被ばくしてしまう」と話す。

 県は訓練を検証した上で、策定中の県原子力防災計画に反映させる方針だが、行政の力だけで全ての住民を避難誘導するのは困難だ。谷本正憲知事が終了後、「避難誘導の柱となる防災士の数を増やしたい」と語ったように、安全で迅速な避難には、自主防災組織をはじめ住民が支え合う体制充実は欠かせない・・・

北國新聞(2012年6月10日付)より引用
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120610101.htm


【註1】今回の原子力防災訓練の想定です。

・資料:石川県「平成24年度 石川県原子力防災訓練の概要について」より

5 想 定
志賀原子力発電所2号機において、地震により全ての交流電源が失われ、原子炉格納容器内の圧力を抑制する機能が喪失し、原子力災害対策特別措置法第15条の原子力緊急事態となった(5㎞圏に避難指示)
・その後、原子炉格納容器から放射性物質が放出された(30㎞圏の一部に避難指示)

6 訓練項目
1)緊急時通信連絡訓練
2)緊急事態応急対策拠点(オフサイトセンター)の運営訓練
3)災害対策本部等設置訓練
4)緊急時環境放射線モニタリング訓練
5)広報訓練
6)避難等措置訓練
7)緊急被ばく医療措置訓練
8)住民等への防災意識の普及
※ 例年実施している訓練項目を基本に、防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲のめやすが30㎞に拡大されたことを踏まえ、訓練の対象範囲を拡大するとともに、船舶やヘリなど避難手段の多様化や奥能登地域への海路・空路による 物資搬送など、工夫を行いながら訓練を実施

http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kisya/h24/documents/kiki0607.pdf


【註2】UPZ(Urgent Protective action planning Zone)とEPZ(Emergency Planning Zone)の差異については下に詳しい設明があります。

・資料:原子力安全委員会IAEA 文書において示された緊急防護措置計画範囲(UPZ)について」
http://www.nsc.go.jp/senmon/shidai/bousin/bousin003/siryo3.pdf

・資料:原子力安全委員会原子力発電所に係る防災対策を重点的に充実すべき地域に関する考え方」より

(3)防災対策を重点的に充実すべき地域の内容
原子力発電所に係る防災対策を重点的に充実すべき地域については、緊急事態発生の初期段階で実施する防護措置の準備のために、本地域内に、これまでのいわゆる緊急時計画区域(EPZ:Emergency Planning Zone)に代えて、以下の区域を設ける。特に施設に近い区域に重点を置きつつ、施設からの距離、周辺環境条件、気象、人口分布等を勘案して、区域に応じた適切な防護措置を迅速に実施できるよう事前に準備しておくことが必要である。

1)予防的防護措置を準備する区域(PAZ:Precautionary Action Zone)
東京電力福島第一原子力発電所の事故においては、事故が急速に進展したため迅速な対応が求められた。急速に進展する事故を考慮し、重篤な確定的影響等を回避するため、緊急事態区分に基づき、直ちに避難を実施するなど、放射性物質の環境への放出前の予防的防護措置(避難等)を準備する区域(PAZ)を設ける。緊急時において予防的防護措置を確実に実施するためには、施設の状態に基づいて緊急事態区分を迅速に決定するための緊急時活動レベル(EAL)を予め策定するとともに、緊急時においてはPAZ 内の住民等に迅速に通報するシステムを確立しなければならない。また、放射性物質の放出状況等を把握するため、自然災害にも頑健性を有し、自動でリアルタイムに環境放射線等を測定し、データを伝送することが可能な設備の設置など人力を介さない環境放射線モニタリング体制を整備する。

2)緊急時防護措置を準備する区域(UPZ:Urgent Protective action Planning Zone)
国際基準等に従って、確率的影響を実行可能な限り回避するため、環境モニタリング等の結果を踏まえた運用上の介入レベル(OIL)、緊急時活動レベル(EAL)等に基づき避難、屋内退避、安定ヨウ素剤の予防服用等を準備する区域(UPZ)を設ける。OIL は、IAEA の国際基準等を参考に国が予め設定しておく必要がある。また、OIL に基づく判断を行うため、環境モニタリングを行う体制を整備するとともに、緊急防護措置を迅速かつ実効的に実施できる準備を確立しなければならない。この際、当該地域における人口分布や社会環境条件(道路網等)を勘案し、必要に応じて段階的な避難を実施できるよう計画を策定することが重要である。

http://www.nsc.go.jp/senmon/shidai/sisetubo/sisetubo023/siryo1.pdf




【サイト内関連記事】
原子力防災訓練のあり方 <1>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120706

・過去の災害に学ぶ<1>〜<6> 
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120524

・「次は何を持ってどこに逃げれば良いか考えていた」 〜 日常的な避難意識の大切さ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120315

・EPZ(防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲)の再検討 <1>〜<3>
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110823

・浸水リスクマップ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110818

原子力防災訓練のあり方 <1>

 1999年に死者2人が出た東海村臨界事故を受けて制定された原子力災害対策特別措置法。同法に基づいて行われる原子力防災訓練についての情報です。国の防災指針が定まらず、憂慮すべきことに原子力防災訓練もまた、具体化せず議論も進んでいません。
 また原子力規制委員会設置法が可決・成立したのはようやくこの6月20日のことで、原子力規制委員会が発足するのはこの9月になるとのことです。
 

・・・東京電力福島第1原発事故後、初となる国の原子力総合防災訓練について、計画作りを指示された原子力安全基盤機構が「最悪ケースの想定は避ける」として、福島事故で起きた炉心溶融メルトダウン)を除外するなどの方針をまとめていたことが30日、分かった。共同通信が情報公開請求で計画案を入手した。

 「地域住民の不安を増長する」という理由。一方で、福島事故で役立たなかった対応拠点施設(オフサイトセンター)が一定段階から本格的に機能すると想定していた。

 同機構は、新設される原子力規制委員会の事務局の原子力規制庁に統合されるが、危機対応への意識が乏しい姿勢が浮き彫りになり、先行きに不安を感じさせる。

 同機構は、経済産業省原子力安全・保安院の安全規制を実務面で支援している。保安院の指示で2011年度訓練の計画案を作成したが、訓練は結局実施されなかった。

 訓練の考え方をまとめた11年7月14日付の文書では、事故の想定を「福島と同じかそれより速い事象進展」とする一方、「炉心損傷、メルトダウンには至らない(水素爆発は想定しない)」と記載。「電力が実施した緊急安全対策が機能することを示す必要あり」と、福島事故後の対策の有効性をアピールする意図と受け取れる記述もある。放射性物質の放出は地元自治体の意向で「あり」「なし」を検討する。

 国は甘い想定にとらわれ福島事故の対応でさまざまな問題を生じさせたが、11月16日付の文書は訓練の目的を「体制の検証」と限定。「防災指針の改定など、防災体制の変化が予想される状況にあり、(今の体制下での)対応力向上、意識向上を目的とする訓練は困難」とし、訓練を通じて改善しようとする意識の薄さがうかがえる。

 保安院によると、同機構から説明を受けた担当者は「炉心溶融や水素爆発がない想定はあり得ない」と指摘したが、具体的な修正は指示しなかった。

 訓練はその後、具体化せず議論も進んでいない。新規制組織が発足後、内容を検討する見通し。(以下略)

中国新聞(2012年6月30日付)より引用
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201206300126.html


【関連記事】
東京新聞:国の防災訓練 炉心溶融 想定から除外(2012年6月30日 夕刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012063002000235.html


・対応拠点施設(オフサイトセンター)とは?
・・・緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)は、原子力災害発生時に避難住民などに対する支援など様々な応急対策の実施や支援に関係する国、地方自治体、放射線医学総合研究所日本原子力研究開発機構などの関係機関及び専門家など様々な関係者が、一堂に会して情報を共有し、指揮の調整を図る拠点となる施設である。
 事故が起こった場合には、オフサイトセンター内に設置される幾つかのグループが、施設の状況、モニタリング情報、医療関係情報、住民の避難・屋内退避状況などを把握し、必要な情報を集め共有する。オフサイトセンターでは、国の原子力災害現地対策本部長が主導的に必要な調整を行い、各グループがとるべき緊急事態応急対策を検討するとともに、周辺住民や報道関係者などに整理された情報を適切に提供する。
オフサイトセンターは、現在全国で21ヵ所(経済産業省19ヵ所、文部科学省6ヵ所。うち、4ヵ所は共管施設)が指定されている・・・

公益財団法人原子力安全技術センター:原子力防災基礎用語集(2008年5月最終改訂版)より引用
http://www.bousai.ne.jp/vis/bousai_kensyu/glossary/ki17.html

・オフサイトセンター設置場所(同センター2008年5月最終改訂版による)
http://www.bousai.ne.jp/vis/bousai_kensyu/glossary/ki17a.html


参考までに原子力災害対策特別措置法を引用しておきます。

原子力災害対策特別措置法(平成十一年十二月十七日法律第百五十六号)
最終改正:平成一八年一二月二二日法律第一一八号
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO156.html 

原子力災害対策特別措置法
(防災訓練に関する国の計画)
十三条  第二十八条第一項の規定により読み替えて適用される災害対策基本法第四十八条第一項 の防災訓練(同項 に規定する災害予防責任者が防災計画又は原子力事業者防災業務計画の定めるところによりそれぞれ行うものを除く。)は、主務大臣が主務省令で定めるところにより作成する計画に基づいて行うものとする。
2  前項の規定により作成する計画は、防災訓練の実施のための事項であって次に掲げるものを含むものとする。
一  原子力緊急事態の想定に関すること。
二  第十条、第十五条及び第二十三条の規定の運用に関すること。
三  前二号に掲げるもののほか、原子力災害予防対策の実施を図るため必要な事項

災害対策基本法第四十八条第一項
(防災訓練義務)
第四十八条  災害予防責任者は、法令又は防災計画の定めるところにより、それぞれ又は他の災害予防責任者と共同して、防災訓練を行なわなければならない。
2  都道府県公安委員会は、前項の防災訓練の効果的な実施を図るため特に必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、当該防災訓練の実施に必要な限度で、区域又は道路の区間を指定して、歩行者又は車両の道路における通行を禁止し、又は制限することができる。
3  災害予防責任者の属する機関の職員その他の従業員又は災害予防責任者の使用人その他の従業者は、防災計画及び災害予防責任者の定めるところにより、第一項の防災訓練に参加しなければならない。
4  災害予防責任者は、第一項の防災訓練を行おうとするときは、住民その他関係のある公私の団体に協力を求めることができる。

・第四十八条第一項の読み替え(原子力災害対策特別措置法 第二十八条第一項の規定)
災害予防責任者→災害予防責任者(原子力事業者を含む。)
防災計画→防災計画若しくは原子力事業者防災業務計画(原子力災害対策特別措置法第七条第一項の規定による原子力事業者防災業務計画をいう。第三項において同じ。)



【サイト内関連記事】
・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<2> 〜 防災教育副読本の作成・改訂
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120602

・震災を将来に生かすための復興教育・震災学習<1> 〜 岩手県で本格化
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120530

・過去の災害に学ぶ<1>〜<6> 
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120524

・「次は何を持ってどこに逃げれば良いか考えていた」 〜 日常的な避難意識の大切さ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120315

・「もしものときにも負けない子どもに」 〜 子どもを対象にした防災キャンプ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20110907

地元住民とボランティアに訪れた方々へ情報発信 〜 気仙沼市市立小泉公民館

 公民館事業をとおして小泉地区のコミュニティーの再生を行う宮城県気仙沼市小泉地区にある気仙沼市立小泉公民館。同公民館は、東日本大震災津波により流失、昨年9月より小泉中学校の体育館2階のミーティング室を仮事務所として再開しています。昨年11月には、公民館だより「いずみの風」(毎月1回15日発行)を復刊、また本年5月より「フェイスブック」を使った地域情報の発信をはじめています。


・・・5月上旬より小泉公民館では、Facebookを始めました。「小泉の今」を支援に来た多くのボランティアさん、自治体職員の皆様、小泉出身の方々、もちろん地区住民の皆様に対して、公民館事業のことはもとより、小泉の復興・復旧、高台移転など地区の情報を掲載しています。
インターネットの検索サイトで「気仙沼市立小泉公民館」と入力し、クリックすると出てきます。また、Facebook内の「基本データ」をクリックすると同じく5月から始めた、小泉公民館の市の公式ホームページとTwitterがご覧になれます・・・

気仙沼市立小泉公民館 :「いずみの風」(平成24年6月号 第212号)より引用
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1334648712794/files/2012-6.pdf


宮城県気仙沼市小泉公民館Facebook
http://www.facebook.com/koizumiko.kesennuma/info

宮城県気仙沼市小泉公民館Twitter
https://twitter.com/#!/koizumiko

宮城県気仙沼市小泉公民館について 
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1334648712794/index.html
*上記の公民館だより「いずみの風」はここからPDF文書でご覧になれます。


また佐賀県による気仙沼支援「佐賀きずなプロジェクト」につきましては以下に情報が掲載されています。
http://www.pref.saga.lg.jp/web/index/bousai-top/bousai-kinkyu/touhoku/haken/_54187.html


【関連記事】
・・・東日本大震災の復興支援で訪れた数多くのボランティアに、地域の現状を知ってもらおうと、気仙沼市小泉公民館(及川安寿館長)はこのほど、インターネットの交流サイト「フェイスブック」を使った地域情報の発信を始めた。

 震災の大津波で小泉中心部の町区(本吉町泉)は壊滅的な被害を受け、隣接していた小泉公民館も流失した。震災後、職員は小泉中体育館避難所の支援活動などをしていたが、避難所の閉鎖に伴い、昨年9月に同体育館2階会議室を仮事務所として業務を再開した。

 11月には、震災前まで毎月1回発行していた公民館だより「いずみの風」を復刊し、地元住民にはさまざまな情報を発信した。

 さらに「震災後、小泉に訪れた延べ1万人のボランティア関係者にも、小泉がどのような復興の道を歩んでいるか発信したい」と、市のホームページ(HP)に小泉公民館のコーナーを設けたのに合わせ、新たに公民館独自にフェイスブックのページを開設した。

 フェイスブックには、地元の小中学校と地域の行事や、復興に向けた取り組みを掲載した各種団体の会報なども掲載している。インターネットの検索サイトで「気仙沼市立小泉公民館」と入力して閲覧できる。

 同公民館は「無料で情報を知らせることで、遠方に住むボランティア関係だけでなく、パソコンを持つ住民にも情報提供できる」とし、「行事や話題があるたびに内容を更新し、情報発信のツールとして有効活用したい」と話している・・・

三陸河北新報社(2012年6月9日付)より引用
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2012_06/k/120609k-koizumi.html




【サイト内関連記事】
・「ふるさと納税」に添えられたメッセージ 〜  青森県
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120607

・引き寄せられるように集まり、重なり合い、共鳴し合うカラフルな円 〜 気仙沼・鹿折復幸マルシェ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120520

・「自分の目で確かめて、見て感じたことをご家族の方やご友人の方にお話しいただければ」 陸前高田市長メッセージ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120429

・絆 〜 結ぶということ
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120311

・共に生きようとする気持ち
http://d.hatena.ne.jp/oretachinonihon-2011/20120309/