過去の災害に学ぶ<7> 歴史は等身大の“実験室”

 過去に発生した大地震のなかには連続して起こったものが多くあります。以下はそれについての記事です。記事の中に出てくる地震は「貞観地震」(869)、「元禄関東地震」(1703)、「宝永地震」(1707)、「宝永大噴火」(同年)、「安政東海地震」(1854)、「安政南海地震」(同年)、「安政江戸地震」(1855)、「大正関東地震」(1923)です。
このうち、いわゆる「安政三大地震」と呼ばれる「安政東海地震」「安政南海地震」と「安政江戸地震」の間には、「豊予海峡地震」も起こっています。下に一覧にしてまとめました。

貞観地震」 869年7月9日 マグニチュード(M)8.3−8.6
「元禄関東地震」 1703年12月31日  マグニチュード(M)7.9−8.2
「宝永地震」 1707年10月28日  マグニチュード(M)8.4ないし8.7
宝永大噴火」 1707年12月16日
安政東海地震」 1854年12月23日  マグニチュード(M)8.4
安政南海地震」 1854年12月24日  マグニチュード(M)8.4ないし8.5
豊予海峡地震」 1854年12月26日  マグニチュード(M)7.4
安政江戸地震」 1855年11月11日  マグニチュード(M)6.9
「大正関東地震」 1923年9月1日  マグニチュード(M)7.9

 また「安政江戸地震」は首都直下型地震です。東京都では今年4月に被害想定を公表していますので、以下も併せてご覧ください。

東京都総務局:「首都直下地震等による東京の被害想定」(平成24年4月18日公表)
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/tmg/assumption_h24.html


・・・歴史は繰り返す。地震の歴史も繰り返す。東海・東南海・南海が三連動する巨大地震と、首都を襲う大地震も無縁でなさそうだ。その史実に学びたい。
 寒川旭(さんがわあきら)氏(地震考古学)が著した「地震の日本史」(中公新書)が、あらためて注目されている。列島で起きた数々の地震を文献や遺跡から精査した成果である。
 例えば一七〇三年に起こった「元禄関東地震」について、江戸中期の学者新井白石が「折たく柴の記」に記した記録を抽出する。
 「地おびただしく震ひ始て、目さめぬれば、(中略)ここかしこの戸障子皆たふれぬ」

三大都市圏がやられた

 他にも房総半島から伊豆半島にかけて、津波が襲った記録がある。この地震相模湾のプレート境界から発生した海溝型と考えられ、マグニチュード(M)8・2だった。大正時代の一九二三年に起きた関東大震災がM7・9だから、その大きさがわかる。
 恐ろしいのは、その四年後の一七〇七年に「宝永地震」が起きていることだ。この地震では、浜松城下(静岡県)から、高知城下(高知県)まで大きな被害を出した記録がある。四国南西端の神社にある四十二段の石段の三十九段まで、津波が駆け上がったというから、その巨大さが察せられる。
 大阪湾にも津波が来て、数百隻の大船が、道頓堀などにまで押し寄せた。その記録も「今昔地震津浪記」などに残る。尾張藩(愛知県)の御畳奉行朝日文左衛門の日記「鸚鵡(おうむ)籠中記」にも、武家屋敷の塀の七、八割が崩れたと記されている。駿河湾から四国沖に延びる南海トラフで、プレートが動いたといわれる。
 しかも、四十九日後には、富士山が噴火した。「宝永大噴火」である。「折たく柴の記」は「雪がふり下るがごとく」と、江戸に火山灰が降った様子を記した。

◆文書と遺跡の史料で

 酷似したケースが一八五四年にも起きた。東海地方の沿岸部を中心に大津波が襲った「安政東海地震」である。ロシア大使プチャーチンが乗った「ディアナ号」が津波を受けて、駿河湾に沈没したことでも有名だ。
 その翌日には「安政南海地震」が起き、大坂(大阪)が大きな被害を受けた。和歌山県の広村(当時)で「稲むらの火」により、村人が救われた逸話も知られる。庄屋が高台にあった稲束に火をつけて、津波を知らせたのだ。
 これも南海トラフが連動して、大地震をもたらしたケースだった。さらに注意したいのが、翌年の五五年に「安政江戸地震」が起きた点だ。
 沿岸部ばかりでなく、現在の葛飾区や足立区でも液状化し、文京区内の水戸藩邸では即死者四十六人、負傷者八十四人を出した。この地震もプレートの境界で発生したとの説がある。
 元禄・宝永と安政−、二時期の巨大地震の事例が示すのは、現代の首都圏、名古屋圏、大阪圏の三大都市圏が、一年から四年の幅で相次ぎ被災したことだ。
 「過去の地震のことを知っている必要があります」と寒川さんは強調する。「自分の地域の被害を知っていれば、逃げ方も違うはずです。日本は特別に多く古い文書が残っています。考古学の遺跡調査でも、いつ地震が起きたかがわかります。文書と遺跡、二つの史料がそろっているメリットをもっと生かすべきです」
 確かに南海地震の最古の記録は「日本書紀」にある。六八四年に「大きに地震(ないふ)る。(中略)山崩れ河湧く」と記されている。東日本大震災でも、「日本三代実録」の「貞観地震」(八六九年)と酷似していることが指摘された。
 日本列島は「ユーラシア」「北アメリカ」「太平洋」「フィリピン海」のプレートがせめぎ合う。その境界でも、無数に走る活断層でも大地震は起こる。
 東京都は四月に、首都直下地震などの被害想定を出した。死者は最大で約九千七百人で、区部の約七割が、震度6強以上の揺れに襲われるという。内閣府南海トラフのM9クラスの巨大地震の被害想定を公表した。極限のケースだと、最悪約三十二万人もの死者が出るという驚くべき数字だ。東海・近畿地方の被害が甚大だ。

◆等身大の“実験室”だ
 三大都市圏がやられたら…。そこには原発もある。背筋が寒くなる現実に向き合わねばならない。首都機能の分散化などにも本腰を入れる必要がある。
 地震の歴史に学ぶことは多いはずだ。防災対策に地震考古学をもっと活用すべきである。寒川さんは、こう語っている。
 「科学は実験室で得られたデータを基にします。歴史は、等身大の“実験室”です。その結果を使わない手はありません」・・・

東京新聞(2012年9月1日付社説)より引用
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012090102000141.html


・『折たく柴の記』(おりたくしばのき):新井白石(1657〜1725)の自叙伝。1716年頃執筆開始。三巻。
・『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき):朝日重章(1674〜1718)の日記。1691年執筆開始。後25年以上にわたる。


・東京MXTV:都が震災想定見直し 最大9700人死亡、従来予想の1.5倍




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