「ふるさと」 〜 これまで見えていなかったもの
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
これは、詩人・室生犀星のことばです。彼は自らの筆名を地元金沢に流れる犀川からとっています。
大震災は、津波は、けれども、街の景色そのものを押し流してしまいました。記憶を呼び起こす場所、街角、風景、そうしたものを記録としてとどめた写真さえ、一瞬にして遠くへと流されました。そうしたなかで、「ふるさと」について語られたものがありましたのでご覧下さい。
・・・震災後、涙もろくなったなあと思う。と言っても、精神的に不安定なわけではない。ときおり去来し、胸をつかえさせるものはあるが、むしろあの大災害以来、些細なことはそれほど気にしなくなった。
発災直後は確かに感情がたかぶりやすく、知人が生きていたと知っては泣き、水が出た、電気がついたと言っては泣き…と毎日涙していたように思う。無我夢中でひた走る途中、ふと、亡くした身内や失ったあれこれを思い出してしまい、ひっそり嗚咽した日もあった。
けれど今はそれらともまた違った感情に、たびたび心を揺さぶられている。「私の生きる毎日には、これほど幸福があふれていたのか」と、改めて気づかされるのだ。
15カ月前、我々を絶望の淵へと追いやったあの無残な光景は、爪痕として今も至る所に残る。それでもなお、美しさのあまり息をのみ、思わず立ち止まってしまうような景色が気仙にはあるのだ。これでもかというくらい。
荒れた浜辺に咲くハマナス。凛として立つニッコウキスゲ。広田の海など、まるで緑青(ろくしょう)の絵の具を溶いたかのように・・・それこそ絵ではないかと思うほど碧く澄んでいる。
かつて、海はこんなにも美しかっただろうか・・・。いや。確かに美しくはあった。ただあの津波を機に、これまで見えていなかったものが見えるようになったのだという気がする。
通勤途中、視界に飛び込む大船渡湾。1日とて同じ色はない。毎日の微妙な変化に目を見張り、見つめているだけで、涙がこぼれてくる。これが気仙の底力であったかと、我がふるさとを初めて知る思いだ。
おそらくまだ、海を見たくない・見られないという人も多かろう。見たくてもつらさがよぎり、どうしてもかつてのようには見られないという人もいるはずだ。そうした方の気持ちを、軽々しく傷つけねばよいがと危惧しながらも、自分はやはりこう思うのだ。「この町に生まれて良かった」と。(里) ・・・
東海新報(2012年6月21日付)コラム「気仙坂」より引用
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column2.cgi
うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
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