記憶・風景・言葉<2>

前回に続き、石巻出身の作家辺見庸による『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』という書物の中の言葉を引用します。


・・・以下引用・・・

風景と言葉

 わたしは脳出血の後遺症で右半身がどうしても動きません。ですので、被災地に駆けつけ友人、知人たちを助けにいくことができません。そのかわりに、死ぬまでの間にせいぜいできること、それはこのたびの出来事を深く感じ取り、考え抜き、それから想像し、予感して、それらを言葉としてうちたてて、そしてそのうちたてた言葉を、未完成であれ、死者たち、それから今失意の底に沈んでいる人びとに、わたし自身の悼みの念とともにとどける−それがせめても課された使命なのではないかと思うのです。
 それは決してとおりいっぺんの「頑張れ」とか、あるいは「復興」とか、「団結」とかの言葉をスローガン的に言うことではない。国難に立ち向かう日本人の美質、東北人のねばりづよさ、負けじ魂、絆や思いやりの大切さをいたずらに強調するのとも違います。言葉というものの真の働きは、そんなものではない。人々は本当は、もう一段、深い言葉を欲しているのではないかと、最近、とても強く感じています。被災した人々が待ち望んでいるのは、第一に必要な生活要件、現状の回復でしょう。と同時に事態の深みに迫ろうとする得心のいく、胸の底に届く、届けようとする言葉でもあるような気がします。それは今語りうる言葉をなぞり、くりかえし、みんなで唱和することではなく、いま語りえない言葉を、混沌と苦悩のなかから掬い、それらの言葉に息を吹きかけて命をあたえて、他者の沈黙にむけ送りとどけることではないでしょうか。

・・・引用終わり・・・





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