記憶・風景・言葉<1>

石巻出身の作家辺見庸による『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』という書物の中に印象深い言葉がありましたので二回に分けて引用します。

・・・以下引用・・・

記憶

 けれども、じつは、石巻の空気とにおいと光で、わたしの血と肉と感性はあったのだなあ、ということを、今度、思い知らされました。昔、映画監督のエミール・クストリッツァと対談したときに、祖国とはなんだろうという話になって、クストリッツァ監督が、祖国とはテリトリーではなく、記憶なのだという意味のことを訥々と語ったのです。3・11が起きてから、私はそれを思い出し、故郷もまた記憶のことなのだと気づきました。失われ、壊されてみて、はじめて内面に立ち上がってくる内面の風景ーそれが故郷というものではないでしょうか。
 わたしはおそらく他の人よりも多くの戦場を見てきた人間です。中国とベトナムの戦場も見た。カンボジアの戦場も、ボスニアの紛争も見た。ソマリアの内戦も見た。飢えて死んでいく子供達も見てきました。いつも奈落の底で自分一個の存在の無力を思い知らされました。自分には精神の中心となる場がない。一介の故郷喪失者、確かな思い出も失ってしまったデラシネだ、根無し草だと思っていました。よく言えば自分はコスモポリタンのようなものだ、わたしにはルーツがないのだとさえ思ってきました。記憶の根拠になるものは本当はないのだというふうに思ってきたけれども、今度という今度はそれが覆されました。
 ああ、わたしはこの廃墟と瓦礫の源となる場から生まれてきたのだなあと思わされたし、わたしの記憶を証明してくれる、あかしてくれるものが、いま、壊されてしまったのだという失意が、自分が見積もる以上に大きく重いものだと言うことを、日々、痛いほど知らされているのです。わたしにも「場」があった、ということです。
 今もまだ慌てています。自分には立つ瀬がないとさえ思うようになっています。故郷は誇りうるものではない、突き放すものでも排除するものでもない。しかし、自分の血と肉と骨と声を、考える方法を形成してきた場。そういう場があの津波で壊されてしまったという思いは、わたしにとって永久に癒えることのない傷として残るだろうと思います。

・・・引用終わり−次回に続きます・・・

エミール・クリトリッツァは、本書の註によれば、旧ユーゴスラヴィアサラエヴォ(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都)生まれの映画監督です。



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