「次は何を持ってどこに逃げれば良いか考えていた」 〜 日常的な避難意識の大切さ

・・・東日本大震災の2日前に発生した、三陸沖を震源とするマグニチュード7・3の地震から9日で1年となる。津波注意報が発令されたものの、本県では最大60センチにとどまり、被災者の中には2日後の「油断」に結び付いたことが浮かび上がる。一方、9日の経験が結果的に11日の「訓練」となった人も。大震災の「前震」は「教訓」となったのか。共通する声は日常的な避難意識の大切さだ。

 釜石市箱崎町の漁業男性(68)は9日の地震後、水門の上から海の様子を見ていた。11日も地震後に軽トラックで海を見に行き、津波にのまれた。「大木につかまって何とか助かった。地域では地震があると海を見るのが習慣になっていた。そのことが多くの犠牲を出してしまった」と悔やむ。

 9日に津波注意報が発令されても自宅にとどまった住民は多い。大船渡市大船渡町の地ノ森仮設住宅で暮らす女性(77)も避難しなかった。11日も自宅前で海を眺めていたが、近所の人の大声で高台に避難。「2日前も大丈夫だったし、まさか(津波が)来るとは考えなかった」と意識の甘さを自覚する。

 自宅と会社事務所が被災した陸前高田市広田町の建設業男性(56)も9日は「油断していた」と振り返る。11日は身の危険を感じ、高台に避難し「災害は何が起きるか分からない。危ないと感じたらとにかく逃げることが大切」と実感。宮古市崎山の仮設住宅に住む女性(63)は9日、食料や財布を持って高台に逃げたが、11日は何も持たず「9日のようにしっかり準備して逃げればよかった」と反省する。

 9日の経験を11日に役立てたのは大船渡市大船渡町の印刷・撮影業の村田友裕さん(59)。「9日の津波で、次は何を持ってどこに逃げれば良いか考えていた。震災が半年後だったら忘れていたかも」と振り返る。村田さんが大切に持って逃げた撮影データは遺影のほか、震災前後を比較する写真集などの発行につながった。

 「あんなに大きな地震が続けて起きるとは思わなかった」。洋野町種市の女性(67)は今はリュックを準備し、すぐ避難できるよう備えている・・・


岩手日報(2012年3月9日付)より引用
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120309_14



【関連記事】
津波注意報「恐怖」よぎる 勧告受け一斉に高台へ 1時間30分後に解除
東海新報(2012年3月15日付)より引用

 14日午後6時9分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード6・8の地震が発生し、本県沿岸などに津波注意報が発令された。震度2を観測した気仙両市では沿岸住民に避難を勧告。気仙沿岸で津波は観測されず、注意報は約1時間30分後に解除されたが、東日本大震災から1年を経過したばかりの両市では住民の間に緊張が走った。震災後、津波注意報発令は昨年7月以来今回で3回目。
 気象庁によると震源三陸沖(襟裳岬の南東210キロ付近)で、震源の深さは約10キロ。地震発生から約3分後には、気象庁が北海道太平洋沿岸の東部と中部、青森県太平洋沿岸、岩手県沿岸に津波注意報を発令したが、午後7時40分に解除された。
 津波注意報の発令を受け、気仙両市は災害警戒本部を設置し、沿岸住民らに避難勧告。防災無線消防団による広報で高台への避難を呼びかけるとともに、情報収集にあたった。
 地震発生後、大船渡市大船渡町の仮設飲食店街にいた多くの来店客らは避難場所である加茂神社の階段を慌ただしく上り、不安そうに海岸付近の様子をうかがっていた。
 市役所1階の市民ホールには、盛町内の住民や大船渡郵便局で業務中だった職員ら30人以上が避難した。携帯電話で家族らと連絡をとり、避難したかを確認する光景も見られた。
 同町内に住む女性(74)は「リュックサックに貴重品と電池、ラジオを入れ、寒くなると思って着込んで来ました。近所に住む人と一緒に逃げてきたので、落ち着いて行動できました」と話していた。
 市教委によると、注意報発令当時、赤崎町内を走行していたスクールバスは高台にある蛸ノ浦小学校に移動。乗車していた赤崎中生徒約20人は車内で待機し、保護者には解除されるまで迎えに来ないよう呼びかけた。
 陸前高田市は注意報発令を受け、午後6時15分に防災行政無線などで浸水区域全域に避難勧告を行った。海岸部へ向かう道路には警察や消防団関係者が立ち、近づかないよう呼びかけた。
 注意報発令後、市役所には職員約100人が参集。広田、米崎、気仙町長部、下矢作、高田の各地区で公民館や学校、市役所など9カ所に計46人が避難。生徒や保護者43人を乗せていた気仙中のスクールバス2台は市役所と竹駒小で待機した。
 市内でがれき処理中の業者はなく、ボランティアセンターは活動を終了。仮設店舗が並ぶ竹駒町の十日市場付近、米崎町沼田付近の商店関係者や気仙町長部漁港内の水産加工場は全員の避難を確認した。
 高台の車道沿いやコンビニエンスストアには避難の車が多数駐車。米崎町の主要地方道大船渡広田陸前高田線沿いのガソリンスタンドには、大震災直後の状況を踏まえてか、給油を急ぐドライバーたちの姿が相次いだ。
 浸水区域にある竹駒町のマイヤ滝の里店では、注意報の発令を館内放送で知らせた後、本部からの避難指示を受け、買い物客、従業員を高台に避難。従業員15人は国道340号沿いの高台に集まり、不安そうな表情を浮かべた。
 小野田謙店長(42)は「浸水区域なので念を入れて避難をした。渋滞発生も懸念されるので、車も置いてきた」と話していた。

http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws7456



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