気仙広域連合 復興への全体構想 <1>

東海新報に掲載されました気仙広域連合(岩手県大船渡市・陸前高田市気仙郡住田町の首長−戸田市長(大船渡市)、戸羽市長(陸前高田市)、多田町長(住田町)−による座談会の記事です。長い記事ではありますが、震災復興の全体構想・問題点が浮かび上がってきますので6回に分けて引用します。

初回は「課題・教訓・今思うこと」についてです。気仙広域連合のなかで、唯一内陸部に位置している住田町の果たした後方支援基地としての役割が印象的です。


・・・以下引用・・・

 戦後最大、最悪の自然災害となった東日本大震災から9カ月余りが過ぎた。復旧から復興に向けての動きが各地で本格化しつつある中、被災者の住宅再建や雇用確保、人口流出への対応など、被災自治体には今なお多くの課題が山積している。「3・11」からの再生を目指し、気仙3市町は震災復興にどう立ち向かっていくのか。3首長に今後の対応や展望を聞いた。
 ―東日本大震災から間もなく10カ月。未曾有の大規模災害に対応してきた現在までを振り返り、今、思うことは。

 戸田 想像を絶する災害というものが本当にあるんだということを身をもって体験した。今回のような大規模な地震津波を人が造った施設だけで防護できるとは考えられない。今回の教訓を生かし、津波が来ても人が死なない、住宅が流されないという原理、原則でまちづくりを進めていかなければ、という思いを持っている。
 戸羽 われわれは、たくさんのものをなくした。本当に残念でならないが、一方では、表現はよくないが、得たものもあった。日本人の温かさ、世界の皆さんの優しさ。そういうものをいただきながら、これまで何とかやってこれたという思いがある。今は、志半ばに自分の人生を絶たれてしまった多くの方の思いをしっかりと受け止めながら、「素晴らしいまちをつくらなければならない」という気持ちで仕事をさせていただいている。

 ―陸前高田市で約1850人、大船渡市で約430人の死者、行方不明者を出した今回の震災が自治体行政に残した課題、教訓は何か。

 戸田 われわれが経験したことを風化させずに後世に伝えていくことが大事だ。そして、ただ事実を伝えるだけではなく、現実のまちづくりの中にそれを表現し、今回の教訓が風化しないような仕組みを作っていかなければならない。
 戸羽 今回の震災では、自分たちの想像を超えてしまうと危機管理が機能しない、ということを反省も含めて身に染みて感じた。われわれは宮城県沖地震が必ず来るということで自主防災組織をつくり、避難訓練も行ってきた。避難所を設定してハザードマップまで作っていたが、そのことを逆に過信していたのではないか。自然の脅威はわれわれが推し量ることができないもの、という大きな教訓を得た。

 ―気仙両市の震災被害の現実を多田町長はどのように受け止めたか。

 多田 地震のあと役場の前にテントを張り、災害対策本部を設置した。その時、大船渡や陸前高田の被災の状況を自家発電のテレビで見て、「そんな、ばかな」「こんなことってあるのか」と思った。翌日、竹駒町の廻舘橋から見慣れた姿を失った陸前高田の町を見て、「これは本当のことなのか」と膝頭が震えたのを記憶している。

 ―そういう中で、住田町はすぐ支援に立ち上がった。

 多田 災害対策本部を立ち上げたあと、一人暮らし老人とか高齢者世帯、病気を持っていて動けない人がいる世帯などを職員、民生委員、消防団社会福祉協議会などに確認してもらい、その晩の7時ぐらいまでに全員大丈夫だと確認が取れた。
 この間、町内にある救援物資を集め、大船渡市と陸前高田市に送った。横田の消防分団からは陸前高田に水がないという知らせが入り、夕方には給水車を走らせた。道路は寸断されていたが、うちの職員たちは津波に襲われなかった山道を越えて陸前高田に入った。地域の実情をよく分かっていたということが、緊急時の支援に役立ったと感じている。

 ―「気仙はひとつ」という広域行政圏を形成する中で、震災直後からの住田町の支援を両市長はどう捉えているか。

 戸田 県が進めようとしていた応急仮設住宅を地場産材を使って造られた。そのスピード感、町長の決断は全国的に高い評価を得ている。全国からのボランティアが活動する拠点が住田町にでき、陸前高田、大船渡を支援する体制もつくられた。学校の校庭に仮設住宅が建設され、小中学生の運動スペース確保がままならない状況の中で、体育施設も開放してもらい、本当に感謝している。
 戸羽 本市の場合、市街地がすべて破壊された。買い物ができる場所もなく、赤ちゃんのミルクを住田町にお願いした。職員の方に内陸まで行って買ってきてもらったが、今度はほ乳瓶がないということでまたお世話になった。気が回らないことがたくさんあった中で、本当にきめ細やかに対応していただいた。
 それから、これはあまり知られていない話だが、例の一本松。われわれにとって希望のシンボルとなったが、職員もたくさん犠牲になり、正直、当時は松の面倒を見ることなどできなかった。その時も多田町長と電話でやりとりし、ずっとフォローしていただいた。
 もう一つ、当市では多くの市民が犠牲になり、ご遺体の安置場所がすぐにいっぱいになってしまった。こういうお願いをして受けてもらえるとは思っていなかったが、住田町の体育館をお借りすることができた。町内での遺体収容にご理解をいただいた町長、町民の皆さんに感謝申し上げるとともに、気仙地域というひとつの単位の中に陸前高田市があって本当に良かったと思っている。

・・・次回に続きます・・・

東海新報(2012年1月1日付)より引用
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws7263




・気仙広域連合
大船渡市、陸前高田市、住田町、旧三陸町(平成13年に大船渡市と合併)の2市2町が構成団体となり、平成10年3月18日、県知事の認可を受け「気仙広域連合」を設置。
http://www.kesen-koiki.jp/

岩手県大船渡市:戸田市
http://www.city.ofunato.iwate.jp/

岩手県陸前高田市:戸羽市長
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/

岩手県気仙郡住田町:多田町長
http://www.town.sumita.iwate.jp/

気仙広域連合のなかでは、住田町のみが内陸部に位置しています。




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