「希望の一本松」 〜 枯死するも接ぎ木や実生からは新たな苗、後継樹の育成へ

陸前高田市の復興シンボル、「希望の一本松」についての記事です。
松が枯死したことは残念な結果ではありますが、松自身もそこまで生きようと奮闘したであろうこと、またその生を支えるために多くの方々の懸命の努力がなされたこと、そしてなによりそこから新しい芽が育ち、いま立ち上がりつつあること、このことを心にとめながら、今年最後の記事にしたいと思います。

皆さん、それぞれに大変な年だったことでしょう。本当にご苦労様でした。
またそんななか、わざわざ当サイトまでご訪問どうもありがとうございました。

来る年に、すこしでもおおくの新しい希望の芽が息吹き、また力強く育っていきますよう心より願っております。



・・・東日本大震災による大津波で被災した高田松原で唯一生き残り、陸前高田市の復興シンボルともなった「希望の一本松」が、海水上昇などの影響で根腐れが発生し、枯死したことが13日、(財)日本緑化センターによって発表された。震災から9カ月間、同センターなどの専門機関、専門家、地元の保全団体が諸活動を行ってきたが、今後の維持を断念した。しかし、一本松の接ぎ木や実生からは新たな苗も生まれており、今後は後継樹の育成と、それらを元にした松原再生に希望が託された。
津波で、高田松原にあった約7万本の松はほとんどが流出。ユースホステル裏にあった高さ約30メートル、樹齢270年の一本松が唯一残った。クロマツアカマツの中間形質を備えた「アイマツ」であり、被災後の陸前高田を周知させる役割となった。
一本松の生存を受け、同センター、(社)日本造園建設業協会、(社)日本造園学会の3団体は、保護に向けた体制を構築。住田町や県などの支援、NPO法人愛知ネットを通じた企業からの金銭的支援も受けながら、維持活動に努めてきた。
生き残ったとはいえ、地下は約80センチも地盤が沈下し、根の部分は海水に浸った状態。津波が運んだ漂流物で樹幹は損傷し、生育には過酷な状況が待ち受けていた。
関係機関では、損傷部の治療や改良土の覆土、よしずによる強風、高潮からの防御など可能な対策を実践。海水が混じった地下水の流入を防ぐため、深さ5㍍の位置に幅40センチ、長さ6メートルの止水矢板を設置し、ポンプで塩分濃度が高くなった地下水をくみ上げる作業なども行った。
そのかいあってか、7月には新芽が伸び、緑葉が2〜3センチ伸長して球果の形成も確認。息を吹き返したとして関係者や市民を喜ばせた。
しかし、孤立木となったために夏の高温や乾燥にさらされ、ゾウムシ類による食害なども発生。10月にはいずれの根も腐った状態と確認され、ポンプの利用も終了した。
センターの報告書では「『希望の松』に人智をつくした保全対策を講じたが、その労力は報われることはなかった」と、残念な結果に至ったことを示唆。一方で、接ぎ木や実生繁殖が成功して子孫が残っているとし、「保護対策は大きな挫折を経験し、陸前高田市を見守る役割を託された希望の松後継樹を残す小さな目標を達成しつつ、活動の第一段階を終了する」とまとめた。
この結果を受け、戸羽太市長は「市民にとって希望の松であり、残念で忍びないが、9カ月間市民の支えになったことはありがたく思う。永久に存続させたかったが、懸命な手立ての結果と受け止めたい」とし、今後の保存などは専門家らの意見を踏まえて考えたいとした。
高田松原を守る会の小山芳弘副会長は「技術的に可能であれば、会としてはあのまま残すのがベストと考えている。松原には種から出た小さな一本松もあり、こちらで預かっている。復興のシンボルとして残せるよう育てていきたい」と話していた・・・

東海新報(2011年12月14日付)より引用
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws7212


・日本緑化センター
http://www.jpgreen.or.jp/


・「希望の松」後継樹 元気に育つ 
・・・林木育種センター東北育種場と住友林業(株)筑波研究所・住友林業緑化(株)の官民2ヵ所で希望の松後継樹を育成している。東北育種場では接ぎ木4本(写真1)の生育が継続している。住友林業(株)筑波研究所と住友林業緑化では接ぎ木3本の生育が持続し、挿し木による育苗も一定の本数が緑葉を維持している状態を保っている・・・

日本緑化センター 松再生プロジェクトのホームページより引用
http://www.pinerescue.jp/jiten/matsu/tsunami/koukeijyu.html