メディアのこころ − 「住民を励ますことのできる紙面を」

・・・東日本大震災発生から18日で1週間を迎える。大津波の襲来や原子力発電所損傷の影響を受けている地域では、今もなお不安な日々を過ごしている人たちが大勢いる。マグニチュード9・0の巨大地震は激烈な力で襲い掛かり、大津波は本県などの沿岸部の人々の暮らしを一瞬にしてのみ込んだ。胆江日日新聞社取材班は17日、地震発生後初めて沿岸部入りし、大船渡、陸前高田両市の一変した街の惨状を見た。本紙とともに岩手県地方新聞協会に加盟し、両市など気仙地区をエリアに地域紙を発行する東海新報社(大船渡市大船渡町、鈴木英彦社長)を訪問。被災者の疲労がピークに達する中、住民を励ますことのできる情報の発信、紙面作りを──と全社挙げて取り組んでいる。(中略)
東海新報社では11日の地震発生直後から、記者らがカメラを手に、高台にある同社から街へ降りていったという。社員1人は、今なお行方不明のまま。想定した以上の大津波が、大地を覆った。
12日からは、避難者名簿の打ち込みを続けた。読者が一番知りたいのは、身近な人の安否。どこに行けば会えるのか、生きているのか、いないのか──。
確認される被害は日に日に増えていく。余震も頻繁に続く。避難所の住民の疲れはピークに達している。
佐々木克孝編集局長は今、こう考えている。「少しでも、住民を励ますことのできる記事、写真を使おう」。地域紙としての立場から、復興に向けた紙面作りに全力を注ぐ。

胆江日日新聞社(2011年3月18日付)より引用
http://www.tankonews.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=682


【上記関連記事】
・・・40人ほどの社員の中には家も車も流された人がいる。いまだ安否の分からない社員もいる。情報提供は新聞社の最大の役割。「住民の安否を知らせたい」。市民が知りたいのは、身近な人の安否。電気、水道、電話などライフラインが寸断される中、紙面は貴重な情報源となった。
次第に明らかになっていく被害状況を記しながら、避難所に身を寄せる人たちの名前をひたすら打ち込み続けた。佐々木克孝編集局長は「一番の使命は、この名簿を打つこと。打って打って、打ちまくる」と話す。同社を訪ねた17日にも、作業は続けられていた。
多くの市民が同社を訪れる。新聞を手に入れるためだ。
「歩いてきたの?」
「ガソリンを節約しないといけないから」
「そうか、暖まっていって」
冗談も交えながら、笑顔のやりとりが続く。
今、社員たちは共通した使命感を持ち、新聞製作に打ち込む。「少しでも読者を励ますような記事、写真を」。避難所で暮らす住民の疲れはピークに達している。悲惨さを伝える記事を読むのは、つらいはずだ。
「『生き抜こう』懸命の被災者ら」
「がれきの山踏み越え、たくましく」
17日付の紙面では応援メッセージととれる、力強い大見出しで励ました。
社員たちは、生まれ育った古里を勇気づけようと心を一つにする。
「私たちは負けない」

胆江日日新聞社(2011年3月22日付)より引用
http://www.tankonews.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=693


東海新報のホームページは、3月11日午前でとまっています。
現在、東海新報の記事は、紙面データの供給を受けた胆江日日新聞社によって、同社ホームページ上に掲載されています。(4月13日現在)
http://www.tanko.co.jp/tokai.html